敬意を向けられた例

「相手に『敬意』を持って接しましょう。」
そう言われても、「敬意」の正体が分からない。

当然です。我々は「敬意」を向けられたことがないのですから。
それでもアダルトチルドレンを克服するためには、自分に敬意を向けることは必須です。
「敬意」とは、一言では説明できぬ奥の深い感覚です。
例を上げていきますので、そこからご自分で感じ取って、自分にもその意識を向けてみて下さい。

木村文乃さんが母から受け取った言葉

「今年はバラが綺麗に咲きました。まっすぐ背筋を伸ばして頑張っている文乃さんのよう」

お笑い芸人千原ジュニアさんが祖母から掛けられた言葉

ジュニアさんが中学に入ってひきこもりがちになり、祖母が心配して「金沢兼六園でもいこうか」と誘ってくれたとき、賑わいのある場所から少し離れたベンチに座っていると、二人のそばにスズメが少しずつ近づいてきました。
するとおばあちゃん、それを見て「スズメも飛んでばかりじゃなくて、ときには歩きたかったんやね」と引きこもっていたジュニアさんをなぐさめる言葉を掛けてくれました。

うつ病で引きこもっているC子さんに母が掛けた言葉(C子さん談)

「まっくらな深海の底で、生死をさまよっているようでした。でも母は見放しませんでした。うつ病がひどくて『死にたい』と訴えたときも、最初は『そんなこと言わないで』と言っていましたが、最後には
『あなたがそんなに苦しいのなら、死んでもいい。私は死ぬほど辛いけど、あなたの決断を受け入れる』
と言った瞬間に、私はつきものが落ちたように”この人がいる限り、絶対に生きていこう”と思ったのでした」

父小泉純一郎が息子進次郎に掛けた心(進次郎さん談)

「中学3年のときの3者面談で、先生は『小泉くんには、もう少しリーダーシップをとってみんなを引っ張ってほしい』と言われた。すると父は『進次郎はこのままでいいんです。政治家の子供は、何をしても何か言われる。私の親が政治家だったから、あまり目立たないようにしようという進次郎の気持ちが、よくわかる』と。自分もそう思っていた。父は自分の思いを代弁してくれた。忙しくて会えなくても、ちゃんと自分のことを見てくれていた。そのときの強烈な感謝の思いは、今も忘れません。」

所ジョージさんがサブMC佐藤栞さんに掛けた励ましの言葉(栞さん談)

「笑ってコラえてのサブMCは進行だったり、タイトル振りだったりなので『もしかしたら手応えを感じられないかも知れないけど、あなたはここに立って居るだけですごいんだから、自信を持ちなさい』と言葉を掛けていただいた」

東日本大震災のとき、海外から届いたメッセージ

「私たちはあなたと共にいます」

相田みつを作品集より

どうあがいても
だめなときが
ある

ただ手を合わせる
以外には方法が
ないときがある

ほんとうの眼が
ひらくのは
そのときだ

哲学者・岸見一郎氏の話 BLOGOS 「現実を変える力があるのは理想だけなんです」~「嫌われる勇気」の哲学者・岸見一郎さんに聞く

「私の息子が2歳のときの話です。ある日、息子がミルクの入ったマグカップを手に持って歩き出しました。まだ足腰がしっかりしていないので、次の瞬間に何が起こるかわかります。こういうとき、「ちゃんと座って飲みなさい!」と叱る親がいます。そして、もし子どもがミルクをこぼしたら、慌ててふいてしまう。でも、そうすることで、子どもが学ぶのは「無責任」です。つまり、自分が何をしても、親が自分の尻ぬぐいをしてくれるということを学んでしまうのです。

私の息子の場合はどうだったかというと、予想通り、ミルクを畳の上にこぼしてしまいました。ただ、私はすぐに畳をふくのではなく、子どもに「どうしたらいいか、知ってる?」とたずねました。質問に答えられなかったら、私は答えを教えるつもりだったのですが、息子は「知ってる」と言いました。「どうしようと思っているの?」と聞いたら、「雑巾でふく」と言いました。「じゃあ、雑巾でふいてくれますか」。私がそう言うと、息子は雑巾で畳をふいてくれました。そこで、私は「ありがとう」と言ったのです。

子どもがミルクをこぼしたのに、なぜ「ありがとう」と言うのか。そう思う人もいるかもしれませんが、これは、子どもが失敗の責任を取ってくれたことに対する「ありがとう」です。もし子どもが責任を取れなかったら、親が代わりに取らなければならない。でも、子どもがちゃんと自分で責任を取ったことに、親は「ありがとう」と言うのです。同時に「ありがとう」という言葉を伝えることで、子どもには、自分が役に立てたという「貢献感」を持ってほしいのです。

――それは「ほめる」のとは、違うわけですね?

違います。「ありがとう」という言葉は、対等な「横の関係」で使われる感謝の言葉です。それにより、子どもは自分が誰かの役に立てたという「貢献感」を持つことができ、自分に価値があると思うことができる。自分に価値があると思えた子どもは、対人関係の中に入っていく勇気を持つことができる。アドラーは、このことを「勇気づけ」という言葉で説明しています。

大事なポイントは、決して放任主義を勧めているわけではないということです。子どもには自分で責任を取ってほしいのです。子どもでも、自分がした失敗の責任はちゃんと取らないといけないのです。このあたり、アドラーは厳しい。だから、2歳の子どもにも、きちんと雑巾でふいてもらうのです。

さらにこの場面で、もし感情的に傷ついたとしたら、子どもに謝ってもらいます。ただ、ミルクをこぼしたからといって私は傷つかなかったので、謝る必要はありませんでした。

人が失敗したときの責任の取り方は、三つあります。一つ目は、可能な限りの原状回復。この場合でいうと、こぼれたミルクを雑巾でふくことです。二つ目は、感情的に傷ついた人がいれば謝ること。もう一つは何か、わかりますか?

――なんでしょうね・・・

失敗というのは、人が成長していくうえで大事なことです。子どもはもちろん、会社でも、部下が失敗したときにこそ、たくさんのことを学べます。でも、同じ失敗を二度、三度、繰り返すことは具合が悪い。そこで、失敗したときの責任の取り方の三番目は何かというと、それは、同じ失敗をしないための話し合いをすることなのです。

――なるほど。

私は2歳の息子にこう聞きました。「これからミルクを飲むとき、こぼさないためにはどうしたらいいと思う?」。もし答えられなかったら、答えを教えるつもりでした。でも、息子はちょっと考えてから言いました。「これからは座って飲む」。

――正解ですね。

私は「じゃあ、これからは座って飲んでね」と言いました。ここまでのプロセスをみてみると、私も息子も、まったく感情的になっていません。叱る必要なんて全くありません。叱らなくても、子どもは自分で責任をとり、失敗しないためにどうしたらいいかという話し合いをすることができる。

職場の上司と部下の関係もまったく一緒です。部下が失敗したとき、頭ごなしに叱りつけたって、何もいいことは起こらない。それどころか、部下から逆恨みされて、逆効果になるだけかもしれません。

「叱ることは子どものしつけに必要だ」と言っている親がいる限り、児童虐待はなくならないでしょう。それは、親が自分を正当化するための口実でしかありません。子どもが気に入らないことをして、親がカッとなったときに「これは教育なんだ。しつけなんだ」と言いたい親がいるだけなのです。言葉で叱責すること自体が虐待なんだということに、気づいてほしいと思います。」

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