カウンセリングで治るとはどういうこと?

精神病完治喜ぶ様子

カウンセリングを受けて、良くなりました・治りました、というゴールを明確に意識したことがあるだろうか?
なんとなく快方に向かえばOKと思っている人がほとんどだと思う。
あいまいなゴールは、いってみれば終わり時を迎えること無く、ずるずると続ける原因にもなる。
カウンセリングにおける治るとは、どういうことなのか?考えてみたい。

分かりにくい「治った」の定義

回復とは、元通りになることをいう。
元通りとは、苦しみの無かった以前の状態に戻ること。
しかしアダルトチルドレンにとって、苦しみの無かった状態とはどういうものだろうか。
生まれた直後の、無垢な状態?それとも精神疾患を発症する前のコンディション?
掴みづらい。

ではもっと大胆に、ゴールを「克服」と変えてみたらどうだろう?努力して困難に打ち勝つってなんだか強そうでいいじゃん!と思うかもしれない。
でも待てよ?困難とはなんだろう?
これも分かりにくい。

結局、戻ることも努力して乗り越えることもよく分からない。「治る」という一言は、意外と分かっていないものだ。

「治る」とはどういうことか?様々な面から考える

今度は治ったことで得られる効果の面から考えてみる。

元に戻ればいいと思うかもしれない。が、元に戻るとは、困った過去に舞い戻ることを指している。
克服すれば問題解決じゃないと思うかも知れない。が、克服は思ったよりもハードルが高い。
どちらも芳しい効果は期待できなさそう。

では、別の面から考えてみる。

そもそも困っているから問題なのであって、困らなければ問題にならない。
出来事が問題を引き起こすのではなく、出来事を問題視するから問題が起こる。
従って、出来事の見方を変えれば、自ずと問題はなくなる。

カウンセリングでやること

わざわざお金を払って、時間を使ってカウンセリングを受ける意味は、この見方を変えることにある。
出来事を問題視するのは、出来事が理想からズレていると意識するから。
そのズレを修正したくて仕方ないのに、直せない現実があって、理想とのギャップで悩んでいる。
解決とは、理想とのギャップを埋めること、ではなく、理想の形を変えること。

たぶん今追い求めている理想は、誰か別の人にとって理想的なものだろう。あなたのためにカスタマイズされたものではない。
だから自分専用にカスタマイズした、今のあなたにそぐったものを理想にしていく。

例えば、我が子がADHDだった場合に、
周りの人と同じくらい落ち着いた行動の取れる子に育つことを理想とするのではなく、
ADHDに適した援助を受けられる環境に身を置くことを理想とする
といったような、今のあなたにそぐった理想に形を変えていくことが、カウンセリングを受ける意味だ。

留まるや諦めるではなく、現実を見て、できることを考えられるしなやかな心を身につける。
こうなるために、専門家の力を借りる。
「治る」とは、厳しい現実を目の前にしたときに、しなやかな心で居続けられるようになるということ。

治った先にあるもの

「治った」後に、過去を振り返ると、嵐が通り過ぎたかのような破壊され尽くした世界が拡がっていることに気づく。
こんなにめちゃくちゃな世界に身を置いていたのか、と思うと自分を気の毒に思う。
でも、今、空は晴れている。
がれきを拾って、木材を組み立てて、また街を作り始めよう。
今度は嵐に負けない、しなる街を作ろう。
それが成長するということ。

強い風が吹いても、ポキッと折れないしなやかさを手に入れることができれば、どんな未来も自分の足で立っていられる。

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