まだ本当の友達を求めますか?

仲良し友達-いらすとや

タモリさんの「友達なんかいらない」に橋田寿賀子さんが共感したと報じられている。
タモリさんは「友達なんていらないって。どんどん友達減らしているの。切ってくの」とおっしゃったそう。
本当の友達という言葉に代表される「友達」という存在。
タモリさんの言うようにいらないのでしょうか?それともいるのでしょうか?

現役の頃の友達と引退後の友達の違い

学生や社会人をやっている現役時代。
さまざまな試練や嫌な人との出会いにさらされ、落ち込むこと数知れず。
そんなとき、分かってくれる友達、慰めてくれる友達の存在はありがたいですね。
自分が確立されていない若い年代ならなおさら、友達の存在は大きいでしょう。

ですが、年を重ねると気がつきます。
自分の幸福と人の不幸の間にそびえる壁を。
自分にとって幸福と思う瞬間があったとして、それは相手の運命とは無関係に生ずる。
このとき、相手を優先すべきか、自分を優先すべきか。

相手の不幸を思えば、自分の幸福は抑えるべきと自重の姿勢をとりにいくでしょう。
でも、それが我が子の誕生など周囲とってかけがえのない一瞬だとしたら、お祝いそのものを取りやめますか?
それは子供の誕生を否定しているといった誤解を生みます。だからお祝いをします。それを知った相手は、「過去にアナタを救ったのに、私が困ったときは自分を優先するんだ!」と怒るかもしれません。
そうしたら、なんとフォローしましょうか。
相手の気持ちを考えなかったことをわびる?でもなんか違います。

自分に起きたことも大事だし、相手に起きたことも受け止めたい、とすれば、べったべたのつきあいは難しいと感じざるを得ません。
それでも色々と助けられることもあって、つながっていることが多いでしょう。働く世代としての共通の悩みを吐露し合えるでしょう。

しかし引退すると様相は一変します。
家族仲が良く多趣味な人は活発な日常を送り、会社一辺倒だった人は引きこもりのような生活になります。
互いの共通点は、過去の思い出だけ。

そういう中にあって、まだ「分かってくれる」という観点で友達づきあいを続けるのは至難の業。
互いの生き方のギャップが広すぎて、なかなか息を合わせられません。友達といっても、実に遠い存在になるのです。

自分の確からしさが確実になれば友達は不要

人間、成熟すれば自分が何者か見えてきます。
未熟な頃には、自分を認めてくれる・分からせてくれる存在として、友達は欠かすことのできない相手でした。
ですが、70歳過ぎたら、これから生き方を変えるというわけにもいきませんから、人生は確定したも同然です。わざわざ他人に認めてもらう必要はないでしょう。

ですがその年齢になっても尚、人と人の間にそびえる壁は有り続けます。
だとしたら、もうその壁をどうこうするのは面倒ではないでしょうか。
自分は自分、他人は他人。好き嫌いも、タイミングも、自分に合わせたい。
出来るなら身近な家族とくらいは、たまにわかり合いたいけど・・・というのが自然の流れです。

タモリさんも橋田さんも、自分が何者かを考えるお歳ではありません。
もう十分分かってらっしゃいます。

友達の要る・要らないは自分次第

現役世代に限って言えば結局、友達の要る・要らないは自分次第です。
ただし、「ほんとうの」に代表されるいつも自分の感情やタイミングに合わせてくれる人というのは存在しません。
あなたが流産したって、相手は無事出産したら嬉しいのです。
それを「ほんとう」の友達だから、出産を喜ぶなんて不義理だね、と脅迫することはできません。

人と人の間にそびえる壁を十分理解した上で、緩やかにつながれる存在としての友達なら、持ったほうがいいと思います。
でも、持たなくてもいいです。
要は、自分で自分の確からしさを確実にすれば、それ以外はすべてお飾りに過ぎません。
友達がいなくても充実した人生はいくらでも送れます。

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