愚痴を言われないための自衛策とは?

愚痴を言われてガーンとなっている人

気の弱いACは、ついつい愚痴聞き役に徹してしまう。
ふと独りになったとき、愚痴がじわじわとボディーブローのように効いてきて、”なんか疲れた”と生きる気力まで奪われてしまうことはないだろうか。
今日は、そうならないための自衛策を考えていこう。

愚痴聞きの適任者になってないか?

愚痴る方は相手をよく見ている。
話すと、「そんなのどこにでもあることだよ」と否定してくる人や、真剣に聞いてくれずスマホ画面に夢中になる人はまず選ばない。
真剣に聞いてくれるだけでなく、ときに同情してくれそうな優しい人をターゲットにする。

もし自分がターゲットにされているとすれば、そこには聞き役として適任な振る舞いが隠れているはず。
そこを探してみよう。

独りぽっちが嫌で、ついつい人に合わせてしまう
自分の意見を言わない・言えない

といった振る舞いをしていないだろうか?
これは聞き役適任者としての証。どんなことがあろうとも話し手を無碍にしないと、想像出来る。

今度は、「ちょっと話したいんだけど」、と言われたら、即座に「なに?」と返すのではなく、「忙しいから、○○なら時間空けられる」と自分のペースに持っていくくらい主導権を握ぎることを想像してみて欲しい。
素直に、想像できるだろうか。できないとすれば、あなたは話し手から見てど真ん中のターゲット。好きなタイミングで愚痴吐きができる。

話を遮らない、24時間対応可。これであなたは見事、愚痴聞き役としてロックオンされるわけだ。

聞かないといけない、と思ってしまう背景にある心理は?

聞いたって、聞かなくたって、あなたの自由。
時間の使い方は、あなたの手中にある。
なのに、聞かないといけない、と思ってしまう背景にあるものはなんだろう。

私が聞いてあげないと、相手がドロップアウトしそうだから?
人の話も聞けない私なんて、やさしくないから?
人の愚痴を聞いてないと、自分の不幸に押しつぶされそうだから?

なんで、そこまで相手と関わらなくてはいけないのだろうか。
相手には相手の主導権がある。あなたが話を聞かなければ、別の人を当たる力くらいはある。
みくびってはならない。

なのに、自分が聞く世話をしないと、相手が滅びるみたいに考えるのはなぜだろう。
相手の感情の世話をあなたが買って出る理由があるのだろうか。

では、はっきり言おう。
自分の足で立てないから、愚痴聞き役をやってるんだ。
人の役に立ったと錯覚して、自分の存在意義を見つけようとしているから、そこから足を洗えない。

広い目で見て、相手のためになる行動をとろう

感情を持った主体者である話し手を侵すことはできない。
感情はあくまで、当人のモノ。だれかに肩代わりさせたり、減らしたりできるものではない。
相手の感情を奪うということは、相手が取るべき感情の成仏という責任を奪うことになる。
それは、あきらかに越権行為。

相手に敬意を持つ、ということは、相手のとるべき責任は相手にちゃんと取らせる、ということに通じる。
相手には責任を取る能力がある、そう信じるから、手出しをしない。
時に心を鬼にしてでも、相手を力を持った人として扱うことが要る。

それは外野から見ると、突き放した行為に見えるかも知れない。
でも、そこで責任取れなかったら、一生おんぶにだっこで、あなたが相手の感情の責任を取ることになる。
もし、離ればなれになったら、それこそ感情の行き場を無くして、取り返しの付かないことになるかもしれない。

だから早い段階、浅い段階から、愚痴を聞かない方が、相手のためなのだ。

本当に相手のための思うなら

本気で相手を思うなら、愚痴の責任は当人に取らせよう。
あなたにできるのは、解決へと意識を向かせること。
「どうすれば、防げたと思う?」という一言で、感情の渦から相手を現実に戻す手助けをしよう。

これなら、あなたも相手も疲れない。
いつまでも、二人で感情におぼれていてはいけません。早く抜け出しましょう。

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