否定するカウンセラーの考察

否定するカウンセラーイメージ

ごくたまにだが、カウンセラーに否定されて傷ついたクライアントが、「心の流れBlog」に迷い込んでくる。
勇気を持って相談したのに、否定されてズタズタになった心。
カウンセラーは分かっていてやったのか、意図せずやってしまったのかは分からないが、クライアントを傷つけるのは、禁忌行為だ。
それでも、未だに無くならないその行い。カウンセラーはどういう心理状態にあって、どうすべきなのかを考えてみたい。

カウンセラーが否定に走る背景

私はカウンセリングを受けて、否定されたことは一度もない。運が良かったのだろう。
カウンセリングと普段話すのの一番の違いは、安全性の担保だ。
何を話そうが、そこに攻撃はない。秘密は守られる。その担保があって、クライアントは自由に話が出来る。
だが、残念なことにカウンセラーは資格職ではないので、「禁止行為をしたら免許剥奪ね」といった縛りはない。
担保を放棄しても、咎められることなく続けていける。

経験の浅いカウンセラーだと、自分の弱点に極めて近いことがクライアントの抱える問題だった場合、弱点に向き合うのが怖くて無意識に避けようとすることがある。
またカウンセラー自身が完璧主義の場合、自分の知らないことを知らないと知られるのが恥ずかしくて、話題を変えるということもある。

カウンセラーがクライアントの言葉に己を引きずり出される時、カウンセラーとしての冷静さを失っている。
もし、あなたがカウンセラーに否定されて傷ついたとすれば、あなたの問題はカウンセラーの問題でもあった、ということ。
問題を解決したいのなら、別のカウンセラーに代えることを勧める。

どんな人がカウンセラーにふさわしいか?

弱点のない人はいない。ただ弱点を弱点として受け入れられる人ならいる。
目の前のクライアントが、まるで自分が乗り移ったかのように我が事を話し始めたら、一瞬飲み込まれるのは仕方ないだろう。
しかし弱点を弱点として受け入れているなら、引いた目線で”同じように悩んでいる人がいるんだな。”と一呼吸置いて、クライアントの悩みの原点を探し始める。

カウンセラーが主観的に居れば、否定や意見の押しつけという普段話をするのと変わりない雰囲気が作られる。
カウンセラーは客観的にあろうと努め続ければ、クライアントの気づきにつながる場が形成される。

私がクライアントなら、後者のカウンセリングを受けたい。それは読者も同じだろう。
だとしたらカウンセラーはプロフェッショナルな自覚を持ち、主観的に堕ちるの食い止めるべく、意識して客観的な視線を保ち続けなければならない。

死にたいという訴えに対するカウンセラーとしての答え

訴えられると返答に窮する「死にたい。生きていたくない」。
だれもが「そんなこと言うなよ」と否定したくなる。

しかし、カウンセラーはそういう場でも否定せずに、想いに耳を傾ける。
死にたいくらい追い詰められている心に寄り添う。
訴えるということは、助けて欲しいと同義。カウンセラーに一縷の望みを繋いでいる。そこをくみ取る。
だから、どんなことがあっても、カウンセラーは否定をしてはならない、と私は思う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す