正しく間違えられることが一番正しい

失敗するイメージ

良き先輩の見分け方として、「自ら泥をかぶれるか否か」を見よ、というtwitterネーム指南役さんの一言から見るに、良きと悪しきの違いは、正直さであり覚悟である。
間違いを犯さない人などいない。だからこそ、間違いを認識したときどうするかが、正誤の分かれ目となる。

あなたは自分の間違いにどう反応しているだろう?

ハインツ・コフートが残した言葉

自己愛の研究で知られる精神科医ハインツ・コフートは

最適な親とは”最適に失敗する”親のことである

という言葉を残している。

人は失敗するものだから、問題の本質は、失敗そのものではなくて、失敗に適切に対処しなかったことである。適切に対処すれば、失敗は失敗ではない。親失格とはならない、と述べている。

世の中にあふれる「失敗するなよ」プレッシャー

ところが現実的には、失敗すること自体が問題視されているため、どんな些細なことも「ちゃんと出来なきゃダメでしょ」というプレッシャーを受ける。
間違うことは許さない、という風潮。

もし間違うことなく人生を終えるのが我々の義務だとしたら、生まれた瞬間からスーパーマンでなくてはいけない。
非力、知識不足、思慮不足など、もっての他。

だが、そんなやつがいるはずないことのは、皆さんご存じのとおり。
足りないことも、知らないことなど、思いつかないことも山ほどある。
全部知ってると吹聴してるやつがいたら、ソイツは無知の知をしらない大バカものである。

正しさとして問われるもの

どの人も等しく間違う可能性があるのだから、間違うことそのものは責めを受けるに値しない。
間違いをやりすごして、丁寧に省みることを怠ると批難の的となる。

正しさとして問われるのは、たった1回の失敗であってもしっかりと受け止めて、改善点を見つけること。
それがあれば失敗は失敗でなくなる。

失敗であおりを食らう相手も、こちらが正しく失敗することにより、怒りのあまり振り上げた斧を降ろしてくれる。
謝れない人は、失敗を受け止められない人。受け止められない人は、事態を悪化させるか、ずっと停滞して腐っていくかのどっちか。

泥を被るのは楽じゃない、謝るのも楽じゃない。
でもそこからしか失敗を正しさに導く手立てがないなら、進んで間違いを認める。そういうことが大切なんです。

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