間違った子育てしてませんか?世話焼きがNGな訳

親子関係の形

親だから、子供の世話をするのは当たり前。そう信じていませんか?
確かにそういう一面もあるでしょう。
でもよかれと思ってやったことが、子供の一生を台無しにする、ということもあり得るのです。
これから考察することを、ご自分の体験と照らし合わせて、本当の意味で子供を守ってあげてください。

適切な世話と不適切な世話の違い

当たり前のことかもしれませんが、何事も程度というものがあります。
赤ちゃんには、排泄の手伝いから、姿勢の保持までありとあらゆる世話が要りますが、小学生には不要です。
ほとんどの親御さんは同世代の周りの子供達をみながら、どの程度の世話が必要かを推し量ります。
ですが、ごく稀に、ご自分の満足のいく世話をなさる方がいらっしゃいます。

こんなことを子供にさせたら怪我をしてしまう、この子にはまだそんな判断はできない

と庇護を重ね、何事も代わりにしようとする。
子供は無垢ですから、その環境を素直に受け入れます。
親がやってくれる環境を当たり前と感じ、チャレンジすることを辞めてしまうのです。

獅子の親が我が子を崖から落とすというのは有名なお話ですね。
崖から落とすとは穏やかではありませんが、日々小さな崖落としをすることは、健全な子育てにはつきもの。
親の方が勇気を持って、子供を突き放す時間を持つ/持たない、が世話の適切さを推し量る尺度なのです。

世話を焼きすぎると、子供はどうなるのか?

子供が団体行動をするようになると、必然的になんでも出来る子が中心となり、グループが形成されます。
今はイジメに敏感な時代です。できないことの多い子は、中心にいる子たちの足手まといになることがあり、疎まれます。
親がやってくれることになれた子供は、親に助けを求めるでしょう。
そこで満足のいくまで世話をなさる親は、「これぞ我が出番、身を挺して我が子を守るぞ」とばかりに子供達の輪に分け入り、我が子を大切にするよう説くのです。

子供達には子供達だけがわかり合える世界がある。そこへ大人が介入してきて、「足手まといになる子を仲間に入れろ」とどやすのですから、内心子供達は不快に思うことでしょう。
表面上は仲良くするかもしれませんが、足手まといの子が自発的に出来る子に変身したわけではありませんから、結局なんやかんやで外されてしまうのです。

寂しさを感じたその子は、結局親のところへ返るのです。

親子だけの世界は子の人生を台無しにする

我が子が子供達となじめないと悟った親は、「だったら私がこの子を守る!」と、一層の親子密着を高めます。
なんでもかんでも我が子にしてやり、「できなくても、代わりにやったげるから」と、朝起きることも勉強の面倒をもみることも、友達の代わりも、それはそれは全力投球で我が子の面倒を見ます。

そうやってなんとか幼少期を乗り切ったとしても、成人すれば否が応でも自分でなんとなしなくてはならない場面に出くわします。
ですが、対処するということを知らないその子は、依然と同じく親に頼る。

結果、社会から不適合者のレッテルを貼られ、生涯自立出来ない人生を歩むことになるのです。

2歳の子供でも自分でやれることがある

「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎さんが子供が2歳のときのエピソードを語ってらっしゃいます。

私の息子が2歳のときの話です。ある日、息子がミルクの入ったマグカップを手に持って歩き出しました。まだ足腰がしっかりしていないので、次の瞬間に何が起こるかわかります。こういうとき、「ちゃんと座って飲みなさい!」と叱る親がいます。そして、もし子どもがミルクをこぼしたら、慌ててふいてしまう。でも、そうすることで、子どもが学ぶのは「無責任」です。つまり、自分が何をしても、親が自分の尻ぬぐいをしてくれるということを学んでしまうのです。

私の息子の場合はどうだったかというと、予想通り、ミルクを畳の上にこぼしてしまいました。ただ、私はすぐに畳をふくのではなく、子どもに「どうしたらいいか、知ってる?」とたずねました。質問に答えられなかったら、私は答えを教えるつもりだったのですが、息子は「知ってる」と言いました。「どうしようと思っているの?」と聞いたら、「雑巾でふく」と言いました。「じゃあ、雑巾でふいてくれますか」。私がそう言うと、息子は雑巾で畳をふいてくれました。そこで、私は「ありがとう」と言ったのです。

子どもがミルクをこぼしたのに、なぜ「ありがとう」と言うのか。そう思う人もいるかもしれませんが、これは、子どもが失敗の責任を取ってくれたことに対する「ありがとう」です。もし子どもが責任を取れなかったら、親が代わりに取らなければならない。でも、子どもがちゃんと自分で責任を取ったことに、親は「ありがとう」と言うのです。同時に「ありがとう」という言葉を伝えることで、子どもには、自分が役に立てたという「貢献感」を持ってほしいのです。

ほとんどの親が、命令をするか、こぼれたミルクを拭いてやることでしょう。
でも、ここで留まって欲しい。崖から子供を押して欲しいのです。
子供に責任を取らせて、自立心を後押ししましょう。

親が持つべき心構え

親がやって当たり前、と思っていることが意外と子供の自立の芽を摘んでいます。
親が死んだ後も、子は生き続けます。
だったら、本当の意味での世話は、親が居なくても生きていける自立した心を育むことではないでしょうか。

ついつい手出しをしてしまいそうになる心をぐっと抑えて、力強く我が子を見守って下さい。

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